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吹石一恵父親どんな人? [芸能]

吹石徳一(ふきいしとくいち)

吹石一恵 (2).jpg 

 出身地和歌山県

 生年月日:1953年4月2日(62才)

身長178センチ

 プロ野球選手内野手)・スカウト、野球指導者。


プロ入り1974年ドラフト4

初出場 1976年4月3

最終出場1988年10月19


●選手履歴

和歌山県立南部高校

日本新薬

近鉄バファローズ


●コーチ歴

近鉄バファローズ

大阪近鉄バファローズ

日本新薬

  妻との間に21女。このうち長男は智辯学園高校甲子園出場経験がある。

次男の吹石泰隆は社会人野球OBC高島でエースを務め、その後航空自衛隊千歳に移籍した。

吹石徳一の長女は女優タレント吹石一恵で、

その夫(娘婿)は歌手・俳優の福山雅治である

  吹石一恵 (1).jpg福山雅治.jpg

  吹石徳一は南部高校から社会人野球日本新薬を経て、

1974年のドラフトで近鉄バファローズから4位で指名されてプロ入りした。

背番号25で、引退まで近鉄に在籍し、番号をつけていた。

内野はどのポジションでもこなせる器用さがあった。

 

しかし内野手にアクシデントがあった時に控えの俊足・堅守の内野手として、

登場する選手であった。

1980年の日本シリーズ2戦で逆転の3ラン本塁打を打つ。

翌年1981年のシーズンはレギュラーを獲得して規定打席にも到達した

(このシーズンの成績は打率24510本塁打、48打点、13盗塁)。

 

1980年、1985年のシーズンも100試合以上に出場し、それぞれ12本塁打を放つ活躍をした。

控えが多かった野球人生だったが、生涯通算1000試合超の出場をした。

19881019日のダブルヘッダー10.19」では、負傷欠場していた金村義明

代わって三塁手として出場。第2試合の7回表には、一時勝ち越しとなる本塁打を

打つ活躍を見せた。このシーズン終了後に現役を引退。


吹石徳一は引退後も近鉄にとどまり、守備走塁コーチやスカウトなどを歴任した。

19991121日に大阪ドームで行われた読売ジャイアンツとのOB戦では、

始球式に娘・一恵が背番号25のユニフォーム姿で登場。

ナインの計らいで吹石も捕手として登場(始球式には他に吉井理人

近鉄ファンの書家榊莫山も登場し、近鉄の捕手は他に有田修三梨田昌孝

ありなしコンビ」)し、実の娘で女優、タレントの吹石一恵のボールを受けた。

 

吹石徳一は球団合併により2004年シーズン終了後退団。2005年からは楽天に所属し、

近畿地方担当スカウトとして活動していた。20073月、

楠城徹編成本部スカウト部長が西武時代の不祥事による責任問題から

解任・編成本部付(312日付)となったことに伴い、

 

楠城の後任として327日付でチーフスカウトに就任したが、20121130日退団した。

その後2013年は古巣の日本新薬に帰りアドバイザーを務め、

2014年からはヘッドコーチとしてベンチ入りしている。


同年代(1953度〔同年42日から195441日〕生まれ)の

日本プロ野球選手には梨田昌孝中畑清真弓明信若菜嘉晴羽田耕一

藤瀬史朗田尾安志落合博満らがいる。

 

また、梨田・落合をはじめとする1953年(昭和28年)生まれの選手で構成された

親睦会「プロ野球28」のメンバーでもある。

 

出典:ウィキペディアさん

画像出典:m.sponichi.co.jpさん

 




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